
[4/7更新] 揺れ動く、高校生たちの思い。封印されたインターハイの夢 宮古高校ヨット部の「震災後」
3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震。その数十分後、巨大津波が宮古のまちを襲った。慣れ親しんでいたはずの海は、多くのものを奪っていった。今日、明日のことで精一杯のこのまちに、未来を語る余裕はまだない。インターハイに向け情熱をかたむけてきた高校生たちの夢も、胸の中に封印されたままだ。
慣れ親しんでいたはずの海が、すべてをさらっていった
「ふるさとの海と風を味方に」
これは、「スタンダード3−4月号」に掲載した、宮古高校・宮古商業高校ヨット部の記事につけたタイトルだ。岩手県沿岸部の真ん中に位置する宮古市は、今年おこなわれる北東北インターハイのヨット競技開催地。両校ヨット部は、地元開催での活躍を期待されていた。競技会場は、彼らが日々練習を重ねている「リアスハーバー」。慣れ親しんだこの海は、彼らを表彰台の上へといざなってくれる、はずだった。
「リアスハーバーは壊滅です。ヨットも何もありません。インターハイについては、県あるいは全国高体連の指示を待ちたいと思います」
震災の10日後、宮古高校ヨット部顧問の柿崎朗先生(インターハイ実行委員会事務局)から、そんなメールが届いた。両ヨット部の生徒は全員無事、という知らせに安堵したのと同時に、インターハイに向け情熱を注いでいた彼らのことが気になった。メールを受け取った2日後、宮古へ向かった。

(写真:津波により破壊されたリアスハーバー。手前の黄色い鉄骨が艇庫、その奥に部室棟が見える。)
交錯する、封印された思い
柿崎先生のはからいで、宮古高校ヨット部部長の三浦幸也(こうや)さんと副部長の佐藤早紀さんが取材に応じてくれた。ふたりとも4月から3年生になる。幸い、ふたりの家族や住んでいた家は無事だった。「何かしていたほうが気が紛れるから」と、友人たちと一緒にボランティア活動に参加しているという。
あの日、宮古高校では課外授業がおこなわれていた。大きな揺れが断続的におこったあと、窓の向こうに高く盛り上がった海が見えた。津波は学校のそばを流れる閉伊川を逆流し、目の前であらゆるものを飲み込んでいった。
津波が来たとき、ヨットのことが頭をよぎった、と佐藤さんは振り返る。彼女は昨年の沖縄インターハイに出場し、2艇の合計点で競うデュエット競技で準優勝した。3年生チームのなかで、2年生は彼女ひとり。地元開催となる高校最後のインターハイは、周囲の期待も大きかった。「プレッシャーもあったし、気持ちはインターハイのことでいっぱいでした。でも、津波がすべてを変えてしまった」
周りには、家族を亡くしたり家を失った人がたくさんいる。「自分は家も家族も無事で、こうしてヨットのことを考えていられるだけで、恵まれていると思う。でも、やっぱりヨットに乗りたい…」明るく振る舞っていた彼女が、ふいに声を詰まらせた。「あたりまえだったことが、あたりまえじゃなくなってしまった。今まで何ごともなく過ごしていた自分は、すごく幸せな17年を生きていたんだな、って思う」
三浦さんは津波の数日後、リアスハーバーの様子を見に行ったという。「ヨットは全部流されたし、見つけたとしても置く場所がない」
部長として、せめて後輩たちのために何か残せたら、と話すが、彼もインターハイに情熱を注いできたひとりだ。本当は練習したい? という言葉に強くうなずいた。「ヨット、乗りたいです。すごく乗りたいです」
「競技に使うヨットは一艘200万円ほどするし、つくるのに2ヶ月はかかる。中古を譲ってもらえたとしても、輸送にかかる費用や時間を考えると、それも厳しい。それに、広範囲な津波で被害を受けたヨット部はたくさんある。うちだけが『ほしい』とは言えない」と、柿崎先生。顧問として、実行委員会の事務局として「生徒たちをなんとかインターハイに」という気持ちは誰よりもある。しかし、直面している現実はとても厳しい。
そんな先生の言葉に、神妙にうなずくふたり。誰のせいでもないと、わかっている。それでも。「なんとかならないのかな…」と、三浦さんがつぶやく。「仕方がない」という気持ちと「でも」と諦めきれない思いが、彼らの胸の中で交錯している。「この非常時に、ヨットのことを考えるのも、悪いことのように思う…」そんな、佐藤さんの言葉が印象的だった。津波は、インターハイへの夢を語る権利さえも、彼らから奪ってしまった。

(写真:沖縄インターハイのようす。右端の1617が佐藤早紀さん&加藤綾花さん(当時3年生)ペアのヨット)

(写真:2010年沖縄インターハイ、FJ級女子デュエット競技で準優勝した4人。佐藤さん(右から2番目)は当時2年生。今年の北東北インターハイでも、活躍に期待がかかる)
失ったものを元に戻したい
生徒たちと一緒に、リアスハーバーを見に行った。ずらりと並んでいたヨットや船はあとかたもなく流され、管理棟のガラスはすべて割れている。部室棟と艇庫は鉄骨の枠だけが残っていた。
「いい風が吹いてるね。今ヨットに乗れたらちょうどいいのに」と、ふたりは笑う。部室棟に入り、何か残っているものがないか探す。ロッカー棚が倒れ、ジャージや救命胴衣、バッグが散乱し、漁業用の網や浮きがところどころにひっかかっている。ここにあった多くのものは、遠く離れたところに流されていった。「早紀はこの部室を見て泣くかと思った」と三浦さんが言うと、佐藤さんが言い返す。「わたし、この10日間で強くなったよ」。津波が、子どもたちを我慢のできる大人にしてしまったのかもしれない。
「あ、わたしの海パン見つけた!」と、佐藤さんが声をあげた。手には競技用のショートパンツ。インターハイにも国体にも持って行った思い出のものだという。自分のものがみつかってよかったな。柿崎先生の言葉にうれしそうにうなずいた。
ハーバーからの帰り、佐藤さんとおしゃべりをしながら防波堤の上を歩いた。今、何がほしい? とたずねると、少し考えて、彼女は言った。
「失ったものを、ぜんぶ元に戻したい。自分がなくしたものも、宮古のまちも」
(取材/鈴木いづみ)

(写真:モノが散乱する部室棟から、応援幕をみつけた)

(写真:右から柿崎朗先生、三浦幸也さん、佐藤早紀さん)
we need....(宮古高校、宮古商業高校)
ヨット(FJ級。中古、レンタル可)、ヨットにかかわる情報(使っていないもを貸してもいいなど)、「ヨットに乗りたい」という生徒たちの気持ちに対する理解
※宮古高校、宮古商業高校とも同じ状況。宮古市は大きな被害を受け、両校のヨット部員たちは「ヨットに乗りたい」気持ちを抑えている。状況や環境が整うことが先決だが、「ヨットに乗ってもいいよ」という後押しを地元の方々からもらえたらうれしい、と柿崎先生
[宮古高校ヨット部のその後 〜After3.11 希望の灯 篇〜]
「インターハイで、会おう」 「ヨットノトモダチ」が運んだ希望の一艇 宮古高校ヨット部の「再始動」



