岩手スポーツマガジンStandard(スタンダード)岩手をひとつにするのは、スポーツだ〜After 3.11『宮古高校ヨット部2〜前編〜』〜

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[5/26更新] 「インターハイで、会おう」 「ヨットノトモダチ」が運んだ希望の一艇
        宮古高校ヨット部の「再始動」〜前編〜

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 「スタンダードweb」で、シリーズ掲載されている「三陸スポーツドキュメント AFTER3.11」。いちばんはじめに紹介したのは、津波でヨットをすべて失い、練習場所も破壊されたヨット部だった。「彼らの力になりたい」と書いたこのレポートが、遠く離れた「ヨットノトモダチ」との絆をつむいだ。

「OPERATION ヨットノトモダチ」が動きだした

 スタンダードのホームページに掲載されている「三陸スポーツドキュメント AFTER3.11」。その第一弾は、宮古高校ヨット部の記事だった。未曾有の震災による非常事態に、情熱を注いできたヨットへの思いも封印してしまった彼ら。「こんなときに、ヨットのことを考えるのも悪いことのように思う…」とつぶやいた佐藤早紀さん(3年)の表情が忘れられなかった。少しでも力になりたい。そんな気持ちで記事を書いた。

 記事をホームページに掲載して3日後、1通のメールが編集部に届く。それは思いがけない、しかしとてもうれしい知らせだった。

 —AFTER3.11宮古高校の記事、感涙しました。私だけではありません。私のヨット仲間全員泣いております。
 高校生にがまんさせちゃあいけない。ワシらヨット乗りとしてさせてはいけないことだ!
 琵琶湖では宮古湾にヨットを送る「OPERATIONヨットノトモダチ」が動き始めました―

 送り主は、琵琶湖を活動の拠点にしているヨット愛好家の宮口俊之さん。メールには、滋賀県立膳所高校のヨット部員が「自分たちの艇を送ろう」とFJ(高校生がインターハイで乗るヨットの規格)の整備にとりかかっていること、それをサポートする大人たちは輸送の準備と費用の捻出を始めたこと、ライフジャケットやハーネスを提供したいと申し出た業者がいることなどが綴られていた。最後はこう締めくくられている。

 ―柿崎先生や部員の皆様にもお伝えください。とりあえずヨットに乗ってほしい。君らが元気になってセールを上げるときが本当の復興だと思う―

 もしかしたら、奇跡がおこるかもしれない。メールを確認した私はうれしくて興奮していた。さっそく翌日、宮古高校ヨット部顧問の柿崎朗先生(インターハイ実行委員会事務局)を訪ねるべく宮古市へ向かった。

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(写真:琵琶湖からはじまった「OPERATIONヨットノトモダチ」。彼らの思い、行動力が、支援の輪を広げてくれた)

「ヨットを贈る、もらうこと」のむずかしさ

 プリントアウトして持って行ったメールを読み終え、「とてもありがたいです」と言った柿崎先生の表情は神妙で、意気込んでいた私は肩すかしをくらった気分になった。しかしあとに続いた言葉で「ヨットが来ればみんな喜んでくれる」と単純に考えていた自分の浅はかさを思い知る。

 「ハーバーは大きく破壊されてしまった。ヨットがあっても保管場所がないし、そもそも練習できる状態ではない」

 管理棟や艇庫などハーバー内の建物はすべて津波によって壊され、救助艇も無線も失った。海には今もヨットや船、がれきが沈んでいる。それを取り除き元のハーバーに戻すためにはかなりの労力、費用を要することは容易に想像がつく。いったいどのぐらいの時間がかかるのだろう。宮古湾にヨットを浮かべることは、まちの復興と似ているのかもしれない。

 「そもそも、インターハイのセーリング競技自体、開催されるのかどうか…。艇を譲ってもらったのに使わないかもしれない、では申し訳ないですし」と柿崎先生は続けた。

 問題はほかにもあった。高校で使用するヨットの多くが、学校の予算などで購入する「県の資産」もしくは「県セーリング連盟の所有」であるため、ヨット部間だけで受け渡しを進めるわけにはいかないのだという。「ヨットには一個人、一教員ではクリアできない問題がたくさんあるんです」と柿崎先生。それでも市内にあるもうひとつのヨット部、宮古商業高校もふくめて前向きに話をすすめたい、と言ってくれた。

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(写真:宮古高校ヨット部顧問の柿崎先生は、今年宮古で開催する予定だった北東北インターハイの実行委員会事務局でもある。「なんとか宮古の高校生たちをインターハイに」という気持ちは、誰よりも持っているはずだ)

ゴーサインを待つ

 それからしばらく、状況にさほど変化はなかった。野球部やラグビー部など、他の部は練習を再開しはじめている。しかしヨット部の活動といえば海岸や島に打ち上げられたヨットを探すことぐらい。やっと見つけたヨットはどれも壊れていて修復できそうにない。せめても、と部品を持ち帰るぐらいしかできなかった。

 「笑うしかない」と誰かがつぶやく。本当ならば今頃、インターハイに向けて猛練習をしているはずだったのに。焦燥感は「あきらめ」に変わり、彼らの心を支配していく。前回取材した副部長の佐藤早紀さんは「もうヨットは辞めて、進路について考えるべきでは」と思いはじめ、いつしか部の集まりに顔を出さなくなっていた。 

 一方琵琶湖では、「OPERATION ヨットノトモダチ」が着々と遂行されていた。膳所高校のヨット班(この学校は、部ではなく「班」と呼んでいる)は「すぐに乗れるように」と艇の整備をすすめ、大人たちは競技大会会場での募金活動や支援の呼びかけをする。その際の広報資料には「AFTER3.11」やブログの記事を使ってもらった。記事を読んだある膳所高校ヨット班の生徒は、こんなメールをOPERATION本部に送ってきてくれた。

 —僕も真剣に宮古の方々のことを考えていたのですが、自分の考え以上に宮古の方々が苦しんでいると知り、今までの自分の考えを恥じ、反省し、一刻も早い復興を願うばかりです。

 986、987(※ヨットの番号)が宮古へ行くということなのですが、宮古の方々に喜んで頂き、少しでも希望の光となれる存在となるならばとても嬉しいです。特に986は僕が最初に乗せてもらい、クルー・スキッパーの両方として育ってきたとても思い出深い艇ですから、寂しい反面誇らしくもあります。宮古の方々に恥じないような整備状況の艇にし、一刻も早く送り出せるようにします―

 艇は整備し磨かれ、運搬のための義援金もある程度集まった。琵琶湖はいつでもヨットを送りだせる。あとは宮古からのゴーサインを待つだけだった。

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(写真:リアスハーバーから、湾を挟んだ半島の岸辺で見つかった宮古高校のヨット。昨年購入し、インターハイで準優勝したヨットだ。船体は壊れていたため、部品だけをはずし持ち帰った)

やっぱり、インターハイに連れて行きたい

 4月22日、その後の経過を聞きに、柿崎先生のもとを訪れた。

 この前日、北東北インターハイのセーリング競技が、予定地だった宮古市から秋田県由利本荘市に場所を移し開催されることが決まった。実行委員会事務局でもある柿崎先生は、連休後から秋田に出向し、インターハイの準備に追われることになる。宮古にいる今のうちに、できることをやっておかなければ。そんな思いがあったのだろう。

 「そろそろ次の段階に映るときかな、って考えているんですよ」。そう言った先生の表情は、どこかふっきれているように見えた。

 「インターハイ開催が決まった以上、やっぱり生徒たちをインターハイに連れて行きたいって思うんです」

 そのために学校がバックアップすることはもちろん必要。しかしいちばん重要なのは、生徒たちが「ヨットに乗りたいかどうか」だ。今回の津波で海が怖くなった生徒もいる。いまだ余震が続くなか、保護者からの心配の声もある。だからヨットを続けるかどうかは生徒が決めることだけど、と前置きして、先生は続けた。

 「まずは、ヨットを持って来てもらうことにします。実際にヨットを見れば、生徒たちにもやる気が出てくるかもしれませんしね。難しいことはヨットが来てから考えることにします。」そう言って先生は笑った。

 待ち望んでいたゴーサインが出た。それから3日後の4月25日、琵琶湖からメールが届く。

 —予定を調整しました。部員の皆様のお気持ちや、部員としばらく離れてしまう先生のお気持ちを考えますと、こちらの調整などなんてことありません。膳所高校山下監督もOKしてくれました。
 29日滋賀出発、30日宮古到着の予定で、FJ1艇を持って行きます―

 「OPERATION ヨットノトモダチ」は、いよいよ前進をはじめた。本当にヨットがやってくる。展開の早さに夢をみているようだった。宮古のあの子たちは喜んでくれるだろうか。「やっぱりヨットに乗りたいです」と打ち明けてくれた、彼らの顔を思い浮かべた。


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(写真:「インターハイへの夢」と「あきらめ」。前回の取材で、そんな揺れ動く気持ちを話してくれた三浦幸也さん(上)と佐藤早紀さん(下)(ともに宮古高校3年))

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